2007年10月31日(水)01:26 虚言症(京榎/京極) 途中までと概観 「虚言症」 誰とでもすれ違う。すれ違うのは、誰でもあるものだ。 学校の教室、学校の廊下、学校の食堂、学校から寮までの道、寮の食堂、寮の廊下。これだけ羅列してみても、顔見知りであるものならば声でも交わして別れるが、すれ違うのは、自分にとって誰でもないものだ。 そこに個人は無い。礼儀としての会釈、道の譲り合い、そのようなものは、社会性のある物体として見ているからに過ぎない。 真実自分は疎外されていると感じられ、真実自分は溶け込んでいると感じられ、真実自分は確固であり、真実自分は漂っている。この、世界に。 自分はいつでも水銀灯の下を歩く。片側に行列する、水銀灯群の下を照らされながら歩く。 暗く明るい。奇妙な配色。 白黒の風景。 埃が舞う空気は、息苦しくはなく、澱みと閉塞感をもたらす。 それさえ、いっそ、どうでもいい、と思いそうになる。思ってもいい。 けして斯様に生きていることが嫌いなのではない。ただ、奇妙なのだ。 配色が。 目の前の景色はいつでも、明るく、暗い。 正直、人の顔も見えない。 顔は見えないが、造形は見え、表情は見え、ついでに声も聞こえる。誰もの造形も表情も声も識れる。なのでこのように毎日社会生活も営める。 しかし、人の顔が見えない。 顔見知りでさえ、誰でもあり、もはや誰でもないものだ。 造形・表情・声はある。しかし、それしかない。というのは、顔は無いというのと同義。 人間は、人間の顔を良く判別すると言う。 自分は、人々の顔が見えない。 すれ違う人に到っては、顔が見えないどころか、まず、何も見ようとはしていないが。礼儀、自然さ、そのために必要なものだけ見えている。 斯様にすれ違う。 するり。
「君、本に埋まってるのかい?」
その声。声だけだった。よりにもよって声だけだった。、には、 表情が含まれていた。色も含まれていた。 鼈甲、紅(べに)、群青、翡翠、灰色、肌色、黒色、白色、色が極彩色に含まれている。 自分にはわかった。これ、この声には、色があるのだと。 耳だけがそれの方を向いていた。両耳だけ向いていた。しばらく耳だけ向けていた。しかし、両の眼球が硬直したまま動かないまま、瞳孔が妙に収縮していくのをようやく意識し、ようやく顔ごとそちらに向けた。 ゆっくりと見えてくるその、人間、の姿。俯き気味だったため、下から見えてくる。制服の靴、ズボン、上着の裾、白い指、少し広げられた両腕、肩、胸、喉元、白い首、白い顎、薄桃の唇、ほほえんでいる、通った鼻筋、長い下睫毛、奇妙な目、ぼやけているのか焦点、瞳孔、白い額、鳶色の柔らかい髪、楽しげな眼。 それは、人間で、男だった。年は、上か。 眼球は硬直したままだ。喉も硬直したままで、しかしそれはいけない。震わせ、 「どういう」 「どういうじゃアないさ。君の向こうに大量の本だ。何だソレは、古い。古すぎる!ぼろぼろだ!あと、その部屋は暗すぎる!もっと明かりを点けたまえ!眼が見えなくなるよ。」 「どういう意味で」 「意味も何もないよ。本で窒息死するつもりなのか?それは面白い、やるんだったら僕も試してみたいな!何だ、それは……仏蘭西語か?そんなのにまで埋まる気なのか。面白い男だなあ」 「何」 「何、何だって?楽しそうだなあっていうことだよ。全面、本で埋まってるじゃないか。地震が起きたらパアだな、パア。オダブツだ。とりあえず窓くらい作りたまえ。開け給え。のこぎりなら倉庫にあったから、そうしなさい。あと、本当にランプは要るよ。燃えてしまうかもって思ってるのかい?」 「」 「大丈夫、大丈夫。何のための硝子の覆いなんだか。安心して明るくしたまえ。それに、外に出て読むと手っ取り早いよ。お日さまだ!」 「本が日焼けするんですよ」 「そりゃあ生きてりゃ日焼けぐらいするだろうさ。でもそれが何なんだい。たまには外に散歩に連れてってやると、きっと喜ぶよ!」 「散歩」 「そう、散歩」 一度、ダン、と右足を踏み鳴らす。濃い影が地面から浮いて、勢い良く着地する。 「こんな風にね。」 そういえば、今日は晴れていたのだ。 「まあ……散歩ね……」 「そうだ。動け動け!いっぱい動け!」 「善処はしますよ」 「そうダそうダ! ン、君は本当に本ばかりだな!すごいな、すごいな!面白い男だなあ」 奇矯というべきか、しごく理性と言うべきか。何の違和感もなくなって来てしまっている、この会話に。 それにしても、あんた、誰だ。 記憶にあるような。しかし、ごく其れは薄く、 「そういえば、おなか空いたな。君がそんなもの視せるからだゾ。」 食堂? そういえば前、食堂、遠く、人の輪の中に居た誰かを見た気が、 僕が何を見せたと。 「今日は何だろうな。じゃあね」 片手、ひらひら。 眼をほんの僅か見開こうとする合間に、あの人間は、僕に笑いかけ、にっこりほほえみかけ、あまつさえ手まで振って、横を通っていった。 けして、すれ違う、のではなく。通っていった。 彼の通った後、残像さえ見えた。色鮮やかな陽炎。 校舎の角に、彼はもう着いた。そしてそこで、ひとつくるり。左足を軸に右回りをし、 笑った。あまつさえ、首をくいっと少しだけ傾(かし)げて。 そして影一つ残す。それも、形を保ったままに、動いて見えなくなった。
ただ意識のすべてを持って行かれた様な気がした。
* *
「なんだよ、中禅寺。お前、榎木津先輩のこと知らねえの?」 「榎木津?」 「有名だよ。一つ上の先輩で、文武両道眉目秀麗、出る案は意外なところから吹く神風のようで、する事は的を射抜く銃撃のよう。帝王、だと。」 「ふうん。」 「どうしたんだよ。」 「いや、何。それはすごいな、と。どんな人なんだい。」 「色が薄いって聞いた気がするな。や、俺も直接見たこと無えから」 「ふうん。」 この一連の話の始まりは、「相変わらずあの人はすごいな」と誰かを絶賛する言葉に、誰のことだいと尋ねたのが始まりだった。今は、どんな何よりも、 名前、名前、名前、 が欲しかった。誰の名前でもいい、話題に上る人間の名前なら有効だ。どうやら、 いいことを、聞けたらしい。 恐らく、これだ。
あれから、たまにすれ違った。いや、横を通り合った。 大体、彼が、廊下の随分と離れた位置から声を掛けてくる。その声に、ひくりと首を持ち上げ、その笑顔を見ながら、無表情に近づき、少し喋って、横を通り合う。 喋る内容は、概ね突拍子も無いこと。彼からの話題は大体そんなものだ。 奇矯、奇妙、不可思議、しかし狂人ではなく、聡明。恐らく、自分が知るよりも、透明な聡明さ。 信頼、といっても差し支えは無いだろう。彼の喋る内容は、唐突かつ何段も飛び石を重ねているが、そこには確実な理性と、彼の真実があるのだと、そう思える。 その理性。それを、こうも信じられる。 狂人のようであり、おそらく限りなく透徹。 何度も交わされた会話の内容は、飛び飛びだ。しかし、意図は伝わってくる。そして、相互伝達可能な組み立てで、発話をする。 そこにある論理。 何度も何度も交わしているうち、自分の頭の中に、彼の論理が芽生えていった。 情報を採取、今までの論理との適合性を判断、受容か拒否、拒否ならば新しい仮説を、需要ならば次の仮説検証へ、たまに構築されてきた論理を確かめる、 そのようにして、彼の論理、彼の論理の基になっているもの、彼の状況、その理(ことわり)。それらが、見えてきた。
しかしどうにも。名前など、聞ける筈が無い。それは果てしなく無粋な上に、きっと彼は残念がるか、寂しがるか、くだらながるか、切って捨てるだろう。つまらない、と思うのかも。 名前を訊く事を、か、自分を、かはわからない。 それに、そのような考えをする前から、なぜか彼に其れを訊くのはためらわれた。知らないまま、名前など知らないまま、このような個人で居て欲しい、と思ったのかもしれない。真相は判らない。 しかし、ある時、彼が僕の後ろに僕が僕の名前を見ている光景を見て、「ああ、君、中禅寺っていうのか!」となんの憂いもなく言ってのけたものだから。そしてそのまま嬉しそうに笑いながら去っていったものだから。 だったら、無性に知りたくなってきた。堰が切れたような心持だった。 なので。彼なら、多分噂や話題に事欠かないだろうな、とひしひしと感じていた。彼と話していた時の周囲の視線は、いつも厚く、熱かった。 だから、誰かの噂があれば、相手が会話中だろうが訊く事にした。冷静に、物腰柔らかく、しかし焦(じ)れて。 話を聞いていくうちに、ああ、こんなものは彼ではない、と思うことばかりだった。 何度焦れ、何度見切ったか。 しかし、何度それらを重ねても、落胆や失望など一片も挟まれず、ただ次の機会を探していた、 今日、この教室で、隣の生徒が発した言葉。それにも、やはり好機を見た。人の口で伝わる情報の中にも、きっとどうしても彼の姿はにじんでいる筈だろう、誰の口を介そうと、自分なら選(よ)り分けて得られる。そして、ようやく、知った。 知った。 榎木津。 知った。 毎回の新しい好機の度、持ち越されてきた感情が、今回胸のうちにようやく発露する。
じんわりと、高揚感。
「やあ、中禅寺!」 「どうも、榎木津先輩」 そして、次に逢った時、ずっと以前からそうであったように、名前を呼び合い、話し、通り合った。
* *
何度も話していると、そういえば、段々と……発話と発話の繋がりが、より見え難くなっている気がする。しかし、見える。 「あんた、最近喋るのに手ぇ抜いてませんか」 「そうかなあ。多分、中禅寺だからじゃないか?お前ならわかってくれるもの。わかってくれてるじゃないか。」 「なるほど、ね。」 僕は、あんたを信頼しているのと同じように、あんたに信頼されているらしい。 あんたの論理を、その言葉と言葉の間を、僕なら繋ぎ止められると。そういうことを、この人は謂っている。 でも、いいんですか? 僕に悪意があるんなら、いつでも、どうとでも、あんたの論理なんて滅茶滅茶にしてやれるのに? 『わかってくれてるじゃないか。』 あんたは、何でそう確信なんて持てる。
* *
本当か? あんなに――大きな、眼なのに。
「見えないんですか?」 顔を寄せて。
否。見ようとしていないのか。
「先輩。見えていますか?」 僕が。
* *
「ああ、お前の周りはそおいうのばっかりだな!」 「まあ、そうですね。」 様々な宗教、それについての知識、そして理解、そして実践の際の感情、論理。それらを知りたく、また知らなければならない。そういうものなのだ。 そして、宗教に、焦がれはしないが、実践への欲求はある。しかし、どんな宗教にも近ければならないが、どんな宗教からも離れていなければならない。どんなものにも近くなるため。だから、どんな神も信じるわけにはいかなく、また、どんな神も信じられそうにもない。自分は。 「宗教は、厄介なんですよ、知るためには。信じきってしまったら、知ることから遠くなるが、信じきってしまわなければ、知ることに近づけない。」 「ふうん」 「まあ、知ろうとはしますが、しかし。どうすればいいものやら、未だ僕は、掴めて」 「じゃあ、中禅寺。 僕がお前の神になるよ。」 「――」 「僕を信じろ。僕を崇めて讃えて、とは謂わないがね、信じろよ。 僕がお前の宗教になってやる。 僕を信じていればいい。」 「――」 「どうだ。」 「――あんた」 「なんだ」 「――感慨深いですよ。」
嗚呼、宗教を得たり。
* *
「僕を呪え、中禅寺」
* * ずっと以前から、書こう書こうと思っていた京榎「虚言症」。ふと、書きたくなりまして。 もっと、開始直後から榎木津さんとすれ違うはずだったのに、妙に冒頭が長くなってしまいました。 「僕がお前の宗教(お前だけの神)になってやる!」も、高校の頃から書きたい書きたい思っていたところです。中禅寺さんの反応については考えていなかったので、今考えましたが。何で中禅寺さんの神になってやる、と言ったのかも、今。今考えたつながりで、「嗚呼、宗教を得たり。」の一文は、別のものでもいい。 「僕が見えていますか?」の一連は、20041025日記に記述したままで。 榎木津先輩の名前探索の章や、君だからこうなんだよの章は、今考えたもの。 * * 呪え、という言葉はとても穏やかに発されて、透明な両の瞳も穏やかで、ああ、真実だ。 いいの。 僕をあんたに刻み込んで、いいの。 あんたは一度も嘘なんてついた事が無いね。僕は、真実かどうかだなんて事を考えてしまう程にしか、あんたを信じていなかったのだろうか。 あんたの言葉が嘘なら、あれも、これも、出会ってから今までこの瞬間までのどの言葉も全て嘘だったろう。あんたの言葉が嘘なら、僕の言葉も嘘で、あんたの世界も嘘で、僕の世界も嘘だ。しかしあんたに嘘などない。 虚言症というものに毒されていたのは僕だったのだね。 いいんだね。 僕をあんたに刻み込んで、いいんだね。 |